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恵芳茶園


指導者としての情熱と自負

指導者としての情熱と自負静岡の栗田恵市さんといえば、手揉み業界で知らない人はいないと言われるほどの達人であり、最高峰の指導者として挙げられる人物です。

しかし、栗田さんの経営する恵芳茶園が代々手揉み茶の名手であるわけではなく、手揉み茶に着手したのも、さらには工場を構え、緑茶の製造を開始したのも、実はすべて栗田さんの代からのことでした。要するに、わずか30年程度の歳月が、日本を代表する名人を生み出したことになるのです。

栗田さんが手揉み茶保存会に入会したのは、緑茶の製造過程を五感で覚えたいという想いからでした。

工場の開業当初は、全自動であった製造機をあえて手動に切り替え、ひとつひとつの工程を研究し、茶葉に触れ、茶葉の水分を感じながら流れを掴もうとする毎日だったそうです。自分なりの分析に加え、「手揉み」という全行程を手作業で行う技術を身に着けることで、茶葉が製品へと移り変わる様子を文字通り五感で身に着けるようになりました。

その頃になると、周辺地域、あるいは少し離れた農家からも恵芳茶園の工場に茶葉が持ち込まれ、製造を依頼されるほどの人気を博していたそうです。

作り手として結果を残し始めた栗田さんでしたが、もう一つ、力を入れていたことがありました。

それが手揉みの指導です。

現在は手揉み保存会の師範であり、手揉み教本の監修などを務めながら、指導者としても絶大の人気を誇り、日本全国、さらには世界各国に招待され、指導に当たるほどの活躍を見せています。

「そこに手揉みを学びたいという方がいる限り、私は一切出し惜しみせず、彼らを指導するつもりです」

指導に対する情熱は誰にも負けない自負があるという栗田さん。その情熱が、多くの生徒の心を動かし、そして日本中の名手を育て上げているのです。

安全こそが最優先事項

安全こそが作り手の最優先事項「私のこだわりは、とにかく安全な製品を提供することです」

独特な製法や指導者としての経歴を持ち合わせる栗田さんですが、恵芳茶園のこだわりを訊いてみると、そのような回答が戻ってきました。

「作り手として、品質や特異性を議論する前に、やはり消費者の安全を追求することが最優先であり、当たり前のことです」

恵芳茶園では農薬の使用を最小限に抑え、通常の農家が茶摘みの1~2週間前に散布する消毒も行っていないとのことです。1年中管理を続け、やっと実り始めた新しい茶葉。最後の最後でその茶葉に虫がついてしまえば、1年の努力が無に帰す可能性もあります。

しかし、それでも消費者の安全を優先するために、リスクを背負いつつ、恵芳茶園では農薬の使用を控えているのです。

そのためもあって、今では世界で最も農薬基準の厳しいドイツに対し茶葉を輸出できる数少ない緑茶農園に挙げられているほどです。

「安全に気を配っているのは、何も私だけではありません。茶葉の農薬や放射性セシウム量の基準は、他の食品よりはるかに厳しいものになっています。それこそ、ベビーフードよりもその基準は厳格なものです。マスコミの報道で頻繁に騒がれるほど、甘い考えで私たちは茶葉を作っていないということを知ってもらいたいのです」

百人百色の味と個性

百人百色の味と個性栗田さんにとっての緑茶の魅力は、もちろん沢山あるようですが、そのうちのひとつを挙げてもらうと、「同じ茶葉で揉んでもまったく違う製品が出来上がるところ」に楽しみを感じるそうです。

「手揉み保存会の行事では、いわゆるプロの手揉み師と私が指導している生徒たちが手揉みで競うものがあります。それも、使用する茶葉はこちらで用意した共通のもの。

そうすると、生徒たちが勝つことがあるんです。同じ茶葉でも揉み手、揉み方によって出来上がるものが全然違う、明確な品質の差が出来てしまう。そこに茶葉のこだわりが加われば、むしろ同じ緑茶を作ることの方が本来は難しいのです」

同時に、現在の機械製造に対しても思うところがあるようです。

「昔の機械と違い、最新のものは非常に優秀です。優秀すぎると言っていいほど。誰が作っても同じ緑茶が作れるように設計されているんです。確かに失敗は少なくなりましたが、ほとんど作り手に意味がなくなってきてしまっています。

先ほど述べたように、緑茶とは作り手によって出来上がる製品が異なります。個性が出ると言っても良い。そして、緑茶は嗜好品ですから、良し悪しではなく、好き嫌いがあります。だからこそ、個性が重要なのです。

どの緑茶を好むのか、人によって違う。そうである以上、そこには多種多様な味が存在すべきなのです。今の緑茶業界で活躍する人の多くは、機械に頼らず個性的な緑茶を作っている方々ですよ」

おもてなしの文化とは?

おもてなしの文化を忘れないために缶やペットボトルの飲料が増えていますが、それらに比べると、緑茶はいちいち“淹れる”必要のある面倒な飲み物とも言えるでしょう。緑茶離れが進んでいる一つの要因かもしれません。

しかし、その“淹れてあげる”という感覚こそがとても大切であると、栗田さんは仰います。

「もてなしの文化というものがあります。たとえば大切なお客様が来られた時に、手間暇をかけて良いものをお出ししたいと思うこともあるでしょう。緑茶を淹れて、お客様に召し上がってもらう。これこそがおもてなしの文化であり、そのもっとも分かりやすい、あるいは実践しやすい形がお茶であると私は考えています」

確かに、簡易的な飲み物へと人々の嗜好は流れてしまっています。忙しい生活の中で、緑茶を淹れたいと思う人も少ないでしょう。しかし、その「わざわざ淹れてあげる」ことで伝わる思いもあるはずです。

緑茶は茶葉や作り手によって味を変えますが、さらに淹れ方によってもその性格を大きく変える飲み物です。本当にその緑茶の魅力を引き出すには、それに必要な淹れ方というのが存在します。もちろん、それは普通に淹れるよりも手間が掛かります。

しかし、大切な人だからこそ、手間暇をかけても美味しいものを飲んでほしいと思うのであって、それを受けた相手は、美味しいお茶を口にすることで心が安らぎ、ほっとした癒しの時間を味わうことが出来るのです。

ただの飲み物を超えたもの、人々の想いをつなぐもの、それこそが緑茶なのです。

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